『ンコミエオという魔法』


 
 
 
 
 
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アフリカ·ウガンダ共和国
2015年6月渡航の記録
*第一弾*
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(※この文章及び写真はNPO法人MUKWANOのサポートメンバーとして現地へ1人渡航し、その日々の中で体感及び撮影したものとなります。)
 
 
 
 
 
 
こんにちは、
エミレーツ航空。
 
終始ウガンダ人が
台湾人CAを口説き続けてる。
 
何度スルーされても
滅入る気配が全くない。
 
そして押しに弱いのはアジア共通か。
連絡先の書かれた紙を受け取るCA。
 
 
 
ああ、陥落。
 
 
 
まあ連絡しないだろうけど。
 
 
 
 
 
そう、僕はドバイを経由して、
ウガンダ共和国に向かってる。
 
 
 
長時間のフライトは身体に堪える。1人ぼっちなので時間も持て余す。ただ、絶好の映画鑑賞タイムということで、結局シンデレラ2回、スポンジボブザムービー2回、眠れる森の美女(クラシック)、神様はバリにいる、チャッピー、ベイマックスを観た。公開中の映画を3本も観れたのは嬉しい。シンデレラの中で出てくる「勇気と優しさを忘れずに」という教訓はアフリカンタイム、アフリカンレイジーな日々の中で何度僕の心をなだめさせたことか。あとスポンジボブザムービーめっちゃ面白いよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
さてさて、ウガンダ共和国はここ5年間で3回目の渡航になります。NPO法人MUKWANOが運営支援するホームスクールにおける業務として、今回も様々な仕事を実行しました。
 
HIV感染率が高く、両親を亡くしてしまった遺児がとても多い地域・ラカイ県ルワマグワ地区。そこにホームスクールを建てて遺児の衣食住の保障、兼、周りの子たちも通える学校を運営支援していて、現地の人に回してもらっているのですが、定期的に日本人もメンテナンスに入る形。
 
僕は去年の2月振り。寄付者へのお礼の絵ハガキを子どもたちに書いてもらってウガンダからそれを発送したり。日本で色々活用するためにあっちの布をバイヤーしたり。図書館建設してたのでそれに立ち会ったり。その図書館に設置する辞書や図鑑を購入して運んだり。新しい蚊帳を張ったり。先生たちからホームスクールの問題点をヒアリングしたり。日本人と現地の人たちの信頼関係をつなぐっていう意義もあったかな。あとこれが一番時間を割いたし僕だからこその仕事だけど、「写真と映像の撮影」をしまくって帰国後に広報に活用してもらったり。ロジスティックスもサブスタンスも両方バランスよく自分なりに動き回ってきました。
 
 
 
ちなみにルワマグワ地区は水も電気もない(電気最近少しずつ通り始めてるけど)、大自然な感じ。こんな山奥で前々回も前回もばったり日本人に奇跡的に会ってビックリだったのですが、今回は1人も会わなかったことを先に書いておきます。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
そんなこんなでウガンダ共和国に到着。現地パートナーであるムソケ氏が僕をピックアップしてくれた。ひとまずは2日間、首都カンパラ、隣りの大きな街ナンサナで、やっておける限りの仕事と、山奥への準備を拵える。ちなみに首都カンパラはこんな感じ。写真は乗り合いバス(ボダボダ)のターミナルだけど只管にカオス。どこを歩いても人がごった返している。人口密度半端ないって。大迫より半端ないって。ひとまず、サッカーユニフォームのバリエーションが更に増えていて、インモービレのドルトムント着てたやつを見かけたのがハイライトでした。ただ、セビージャに移籍しちゃったからね。どんまいと今となっては声をかけてあげたい。ウガンダのサッカーユニフォーム事情については去年書いた記事を参考に→ http://koichi-ogawa.blogspot.jp/2014/04/blog-post_6.html
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やることやっていざ出陣。
 
首都カンパラから南西に200キロ。
乗り合いバスに乗ってひた走る。
 
 
 
途中の停留所で喰らう押し売りも密かに名物だったりする。(いつもの3分の1くらいの押し売り具合いで、せっかく撮影したのに残念。)
 
 

  
 
 
  
 
 
 
それでも5年前に比べたらルワマグワへの直行便もあるし、デコボコだった土道も、200km中70kmくらいはコンクリートに整備されたと思う。まあそれが良いことか悪いことかは一長一短だけども。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さあ、前置きが長くなったけど、
目的地に到着。
 
移動時間はおよそ35時間。
(空港の待機時間とかを含む)
 
果てしない。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
目的地、
つまりホームスクール。
 
 
 
子どもたちが僕に気付き、
わんさか登場。
 
 
 
僕はすかさず大声で叫ぶ。 
 
 
 
 
 
「ンコミエオーー!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子どもたちの多くが
イエス!イエス!と
深く相槌を打つ。
 
そして謎に拍手が起きる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ンコミエオは
現地の言語ガンダ語で
 
 
「ただいま」
 
 
 
 
  
 
つまり僕はただいまと
叫んだというわけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でも、このただいまは
日常のものとは訳が違う。
 
なかなか何度も通うことが
難しいこの土地で
 
ンコミエオは
魔法の言葉。
 
 
 
 
 
「日本人の多くは
また来るねと言って
また来ないんだ」ってよく
こっちの人は悲しそうに笑う。
 
だからこそ
ンコミエオは
信頼の言葉。
 
 
 
保留にされていた時間が
また新しい線を作り出す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子どもたちが騒ぎ、
先生たちも僕に気付く。
 
 
「KOKO久しぶり!」
(KOKOは僕のあだ名)
 
 
先生たちの入れ替わりは激しいが、
古株たちの歓迎は堪らなく嬉しい。
 
 
 
 
 
「KOKOじゃーーん!
おかえりベイビー!」
 
 
「え!アイザック!WW
もう辞めてるかと思った!WW」
 
 
去年来た時は新参者だったアイザック先生。ちょっとチャラいお気楽戦士なんだけど、長続きしない先生の条件を数多く満たしていて、確実に来年居ない先生だと、去年勝手に思ってた。陳謝。
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、
みんなに囲まれながら
教頭先生と僕で挨拶。
 
 
 
 
「この人を覚えてる人!」
 
 
 
 
子どもたちのほとんどが手を挙げる。
 
 
 
 
ありがとうみんな。
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕が初めてこの場所に来た時に
P1、P2だった子どもたちも
 
今回P6、P7という
最上級生軍団になっていた。
 
(ウガンダの初等教育は7年制)
 
 
すぐに僕に甘えてくる
ベタベタガキんちょ
だったくせに
 
今では下級生に指示をしながら
この場所を支えてる。
 
感慨深いものがある。
 
 
 
 
 
 
 
上級生の彼らとの絆は
人が思うより相当深くて。
 
「舎弟」というと語弊があるが、
僕にとって大事な弟分たちで。
 
彼らが次来た時に
居ないかもしれないと思うと、
 
来たばかりにして既に
別れの瞬間が寂しかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回はそんな始まりのお話。
 
 
そんな感じで、僕の弟分たちによるボイスパーカッションもどきを披露しつつ、今日はここまで。(僕が去年口ずさんでたらみんな真似し始めて、1年経ってもまだやってた笑)